コラム

Column

2026.8.13(木)new

会の所在地は、東京都千代田区岩本町で


・JR山手線・銀座線の神田駅   

・東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅  

・都営新宿線 岩本町駅      

・JR総武本線 新日本橋駅        

                                                      

と複数の最寄り駅があり、いずれも徒歩で5~7分の距離です。




今日は、筆者が利用している新日本橋駅からAIPPIの事務所へ向かう7分間で目にする看板についてご紹介します。


( ちなみに初めてこの道を歩いたのは約半年前。協会内では先輩に習いながら仕事をしている新参者です。 )




初めて気づいたのはこの不思議な看板でした。


桶が4つも並び(裏側はたいらで、ちょっとおもしろい)まるでオブジェのようです。


筆者の住む千葉県某市ではこんな形の案内板は見たことがありません。




千代田区のホームページにこの「町名由来板」についての記載がありました。


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千代田区には数多くの町の名前があり、そのひとつひとつが江戸開府以来、

連綿と続く歴史に培われた伝統と文化を有しています。

しかし一方で、時代の変遷とともに、また土地区画整理事業や住居表示制度の実施など経た結果、

歴史的意義のある町名が姿を消しました。江戸時代から現在に至るまでには、

さまざまな理由によりいくつもの町名が失われ、それを惜しむ声があがっています。


そこで、江戸開府400年という機会をとらえ、区と地域が連携を図りながら、

歴史的意義のある町名とそれにまつわる文化を未来にわたって保存・継承していくために、

町名由来の案内板を区内各所に設置しています。


地域とそこに住み、暮らし、働く人々を結びつけるコミュニティのモニュメントを目指すとともに、

観光資源としての活用を図り、千代田区を訪れる人にもわかりやすいものとしていきます。


《出典》千代田区ホームページ - 千代田区町名由来板

https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/volunteer/chomeiyuraiban/index.html


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そしてこのクラシックな外観のお店。



こちら、うなぎ割烹 大江戸さんのホームページによると創業は寛政年間(1800年)で200年の伝統の味とのことです。


朝の開店前からお店の前はフワッと良い香りが漂っています。

いつか訪れてみたいと毎日本気で思います。




徒歩7分のうちのほとんどは都心の大動脈である昭和通りと

その上の首都高速一号線の2階建ての道路の脇を歩きます。


昭和通りの上りと下りの車線にはこんな標識があり、日本橋が国道の起点であることを思い出します。




道路標識の「東京まで〇〇キロ」の標識の「東京」は日本橋のことなのだそうです。




最近になって途中の信号も歩道もない脇道に

本銀通り」の看板があることに気付き、

別の脇道には「時の鐘通り」という名前がついていることを知りました。


どちらの道も渡りながらチラ見した限りでは人影はあまり見かけません。

不思議に思い検索してみました。



中央区のホームページによると「本銀(ほんしろがね)通り」は、

中央区に数ある愛称のついた道路のうちで、平成27年度に設定され、

日本橋本石町4丁目2番から、日本橋本町4丁目6番までの、520mの道のりを指すようです。


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江戸時代、神田との境、神田堀と外堀に面したところに、「本銀町」と呼ばれていた町がありました。

現在の日本橋本石町・日本橋室町・日本橋本町の、各4丁目の北半分にあたる場所です。

町名は、銀細工職人が集住していたことと、その後神田に起立した新銀町と区別するため、

本の字を冠したことに由来します。


東西に延びる町屋であった本銀町は、武家の消費需要を賄う町人地として、大いに発展しました。

刀脇差細工・縫箔屋・指物屋など、じつにさまざまな諸職名匠が暮らしていました。


「本銀(ほんしろがね)」の町名は、大正の震災復興事業により失われましたが、

町を東西に貫く通りは、今日まで守られました。


《出典》「中央区の歩道っておもしろい!14【本銀通り編】 - 中央区観光協会特派員ブログ」より一部抜粋

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2018/09/post-5601.html


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時の鐘通り

中央区のホームページによると「時の鐘(ときのかね)通り」は

日本橋室町四丁目5番から、日本橋小伝馬町3番までの道路の愛称で、

平成13年度年に設定されたとあります。


「時の鐘」とは、現在実際に「時の鐘通り」沿いの十思(じっし)公園内にある

石町時の鐘(こくちょうときのかね)」を指すのだそうです。

石町時の鐘」は、


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江戸時代には時刻を知らせる手段として欠かせない存在でした。


ちなみに、鐘の聞こえる410町(設置された鐘ごとに定められた範囲あり)とかなり広い範囲から

鐘撞銭(家持町人1軒につき1カ月銭4文)を徴収し、時の鐘の管理・運営費を賄っていたようです。


時の鐘は「石町は江戸を寝せたり起こしたり」などと川柳に詠まれるほど、

江戸の時刻報知手段として欠かせない存在でしたが、

明治初年の神仏分離令・太陰暦導入・時刻制度変更・午砲(ごほう)(空砲で正午を告げる)設置などの

影響を受けて廃止となりました。


その後、本石町三丁目の油問屋・松澤家(大坂屋孫八)の手に渡った石町時の鐘は、

関東大震災後に東京都へ移管されることになり、整備された復興小公園「十思公園」に建造した

モダンな鉄筋コンクリート造の鐘楼堂内へと移設して現在に至っています。


300年以上の歴史を経てきた石町時の鐘は、

今日では吐故納新(とこのうしん)の思いをのせて撞かれる除夜の鐘として活用されており、

町中に染み入るような黄鐘調(おうしきちょう)の音色を響かせています。


《出典》「中央区を、知る about Chuo City > 中央区内の文化財 > 都指定文化財 > 銅鐘石町時の鐘」より一部抜粋

より抜粋https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/tokyobunkazai/dosyokokutyotokinokane.html


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十思公園は弊協会と小伝馬町駅の中間辺りにあります。

これまでも何度か通り抜けたことはありましたが🕊鳩🕊が沢山いるなぁと感じただけの場所でした。


今回改めて訪れてみると、立派な鐘楼があり、

大きな鐘(高さ約1.7m・口径約93cm)が吊るされていました。




公園の入り口には「十思公園ご案内 江戸三縁史蹟」の看板があり、


「銅鐘石町時の鐘」の説明の他、


この地が「東京都指定旧跡 傳馬町牢屋敷跡」であり江戸時代には2,618坪もの大規模の牢獄だったことの説明、


そして公園内に「松陰終焉之地」の碑があることなどが記載されていました。






軽い気持ちで調べた道の愛称から、この地にすごい歴史があることを知り、本当に驚いてしまいました。


これまでは何となく通り過ぎていた町や道ですが、少しでも歴史を知ると、全く意味が違ってくる気がします。


歴史ある「石町時の鐘」の除夜の鐘の音も是非聞いてみたいです。

     


日本橋に近いこの界隈は歩いたり少し調べるだけでいろいろな史実を知ることができそうです。


折をみて周辺を散策してみたいと思います。                         

 

※写真:筆者撮影

AIPPI・JAPAN事務局 執筆者:Y






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